白山雅一しろやままさいち
声帯模写芸人[日本]
1924年 2月29日 生
2011年 9月 死去享年88歳
白山 雅一(しろやま まさいち、1924年2月29日 - 2011年9月中旬)は、日本の声帯模写芸人。
本名は山白 雅一(やましろ まさかず)。
東京演芸協会顧問。
来歴=
大阪府出身。
大阪の繊維関係の商家の跡取り息子として生まれる。
子供の頃から物真似を得意とし、よく小学校で披露していた。
中学校を中退し、家業の手伝いをしていたある日、ニュース映画館で音曲師の初代・柳家三亀松の演芸映画を見て衝撃を受ける。
その後、難波の大阪花月劇場で三亀松の沢田正二郎や映画俳優の声帯模写を聞き弟子入りを決意。
1942年9月、大阪花月劇場での公演を終えた三亀松に弟子入りを直訴し、入門を認められる。
9月11日に上京し、上野・池之端にある三亀松宅に内弟子として住み込む。
入門間もないある日、白山の芸の腕を試すため物真似をやらせた三亀松は、思いのほか芸達者であったため早めにデビューさせることを決めた。
同年11月の上席、横浜花月劇場の「風流三味線しぐれ」という喜劇にて「柳家亀松」の名で初舞台を踏む。
「亀松」の名は、三亀松の実弟・隆啓の進言により、三亀松の寄席芸人になった時に名乗った名前が付けられた。
1943年12月、中国香港へ出征。
福岡から上海に渡り、そこから香港に行って入隊する予定が、香港行きの船が手配できず上海で足止めされている内に終戦を迎えた。
上海では、三亀松の弟子ということが知られていたため慰問で芸を披露していた。
白山雅一さんが誕生してから、100年と266日が経過しました。(36791日)