花菱アチャコはなびしあちゃこ
漫才師、エンタツ・アチャコ[日本]
(本名・藤木徳郎)
1897年 7月10日 生
1974年 7月25日 死去直腸がん享年78歳
花菱 アチャコ(はなびし あちゃこ、1897年〈明治30年〉7月10日 - 1974年〈昭和49年〉7月25日)は、大正・昭和期の漫才師、俳優である。
本名:藤木 徳郎。
福井県勝山市出身。
来歴=
生家は法沢寺という寺院であった。
幼くして両親とともに大阪に移り住む。
父は仏壇職人になった。
移住後、アチャコは奉公に出るなどしていたが、遊芸に興味を持ち、1913年に15歳で新派の山田九州男(山田五十鈴の父)の一座に入って「東明幸四郎」と名乗り、千日前敷島倶楽部で初舞台を踏む。
1914年、神戸の喜劇一座「鬼笑会」に入り、漫才に転向。
このとき「花菱アチャコ」を名乗る。
芸名のうち、亭号の「花菱」は、生家の家紋が由来である。
「アチャコ」の由来について、アチャコが決まって説明していたのは「鬼笑会」時代に先輩役者からつけられたあだ名「アーチョン」が転じた、というものである。
幕切れに拍子木を打つ際に上手くいかず、先輩役者の「アッ!」の掛け声の合図で「チョン!」と打つようになったことからついた名という。
これには異説もあり、マメな性格で「あちゃこちゃする」からアチャコとなったとも、長崎県の工芸品・古賀人形の一種「あちゃさん」にアチャコの顔が酷似していたためともされる。
なお、「コ」の字がつくために、名乗り始めたころはよく女性と間違われたという。
徴兵検査を受ける頃には、奈良瓦堂町の中井座に在籍していた。
1919年に一度だけ横 ……
花菱アチャコさんが誕生してから、127年と133日が経過しました。(46520日)
亡くなってから、50年と119日が経ちました。(18382日)
28138日間 生きました。