石井露月いしいろげつ
俳人[日本]
1873年 5月17日 生
1928年 9月18日 死去脳溢血享年56歳
石井 露月(いしい ろげつ、1873年(明治6年)5月17日) - 1928年(昭和3年)9月18日)は、日本の俳人。
本名は祐治。
経歴・人物=
秋田県河辺郡女米木(めめき)の農家石井常吉の二男として生まれる。
幼時に祖父与惣右衛門から実語教を口伝で習って覚えた。
祖父はまた発句もよくしたので、それも覚えた。
少年時代はとにかく読書欲旺盛で、川向かいの村落に小舟で渡り本を借りてきて読んでいたという。
高麓小学校では成績優秀で、文部省から賞品に論語の本を贈られるほどであった。
また、12歳頃から既に盤虎・李花園・雲城・芥郎などと号して文筆に親しんでいた。
1888年(明治21年)秋田中学校に入学。
中学時代は江帾澹園に漢詩漢籍を習い創作の添削指導も受けるなどしていたが、脚気を患い3年で退学。
退学後は自宅で農業を手伝いながら療養に努めた。
このころ、雨に濡れた若葉に月影が差すのを見て露月と号するようになった。
中学時代の友人が上京進学した話などを聞くにつけ鬱々とした日々を過ごしていたが、1893年(明治26年)秋、ようやく健康を回復し、蔵書を友人たちに買い取ってもらい旅費と生活費を工面して、文学を志し上京した。
しかし特に目指す師が定まっているわけでもなく、浅草三筋町の医院の薬局生となり、漢詩や随筆を書いていた。
そのうち友人の勧めで坪内逍遙を訪ね文学修行の志を訴えたが、文学で身を立てるには天分と資本の両方が必要である ……
石井露月さんが誕生してから、151年と188日が経過しました。(55341日)
亡くなってから、96年と65日が経ちました。(35129日)
20212日間 生きました。