河津秋敏かわづあきとし
ゲームデザイナー[日本]
1962年 11月5日 生 (満62歳)
河津 秋敏(かわづ あきとし、1962年11月5日 - )は、日本のゲームクリエイター、ゲームプロデューサー。
株式会社スクウェア・エニックス第一開発事業本部所属。
来歴=
熊本県立熊本高等学校卒業、東京工業大学理学部在学中にソニーから内定通知を受け入社予定だったが、事情によりやむを得ず中退。
のちの1986年、スクウェアのアルバイト採用試験に応募した際、前日に採用が締め切られていたことを告げられるも、結果として採用される。
入社直後、マスターアップ間際の『ハイウェイスター』のデータ作成を手伝う。
社員となり『ファイナルファンタジー』、『ファイナルファンタジーII』の開発に携わったのち、当時の社長宮本雅史から新発売の携帯ゲーム機ゲームボーイのソフト開発を任される。
宮本は当時爆発的な人気を誇っていた『テトリス』のような「落ちものゲー」の開発を望んでいたが、河津は石井浩一と同じく、「ユーザーはRPGを望んでいる」と考えた。
そこであえてRPGを開発しようと試み、『魔界塔士 Sa・Ga』を世に送り出し、スクウェア初のミリオンヒットを飛ばす。
以降『時空の覇者 Sa・Ga3 [完結編]』を除く全ての『サガ』シリーズの開発に関わり、『サガ』の生みの親として広く知られる。
2002年ゲームデザイナーズ・スタジオの代表に就任。
前任天堂社長山内溥の私設ファンド「ファンドキュー」からの資金提供を受けゲームキューブとゲームボーイアドバンス ……
河津秋敏さんが誕生してから、62年と16日が経過しました。(22662日)