生年月日データベース

横河民輔よこかわたみすけ

建築家、横河グループ 創業者[日本]

(元治元年9月28日生)

1864年 10月28日

1945年 6月25日 死去享年82歳
横河民輔 - ウィキペディアより引用

横河 民輔(よこがわ たみすけ、1864年10月28日(元治元年9月28日) - 1945年(昭和20年)6月26日)は、明治・大正・昭和期の建築家・実業家。
横河グループ創業者。
日本の鉄骨建築の先駆者。
アメリカの雑誌で鉄骨構造を知る。
経歴= 播磨国加古郡東二見村(現・兵庫県明石市二見町東二見)で、蘭方医・横河安鼎の四男として生まれる。
帝国大学工科大学造家学科で建築学を学ぶ。
1889年(明治22年)7月に卒業。
卒業同期には葛西万司、宗兵蔵らがいる。
卒業設計では東京の町屋を取り上げ、論文で町屋の生活改善と建物の耐震耐火性の向上をテーマとした。
その後、下町の二階建ての土蔵造や煉瓦造をどうしたら簡便に耐震化できるかを考え、1891年に著書『地震』を刊行した。
卒業後すぐに東京市日本橋区鉄炮町に建築設計事務所を開設するが、1892年(明治25年)、三井財閥の三井元方嘱託及び東京工業学校講師となり、のち1895年(明治28年)、月給200円の技師長格で三井元方に入社し、三井系企業の建築物の設計を行なう。
翌年部下に鈴木禎次がつく。
1892年(明治25年)、東京法学院改築、1893年(明治26年)、帝大同期である宗兵蔵設計の久松座(旧明治座)を監督。
1893年(明治26年)11月5日、女子教育家として著名な棚橋絢子の次女・下枝(シズヱ)と結婚。
1896年(明治29年)、三井総営業本店の設計を開始し、1902年(明治35年)に竣工。
施工の実際の指導から材料の発注まで一人 ……

横河民輔さんが誕生してから、160年と23日が経過しました。(58463日)
亡くなってから、79年と149日が経ちました。(29004日)
29459日間 生きました。

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