正力亨しょうりきとおる
経営者、読売新聞社 元社主[日本]
1918年 10月24日 生
2011年 8月15日 死去敗血症享年94歳
正力 亨(しょうりき とおる、1918年(大正7年)10月24日 - 2011年(平成23年)8月15日)は、日本の実業家。
読売新聞グループ本社社主、読売ジャイアンツオーナーなどを務めた。
実父の正力松太郎の別称である大正力(だいしょうりき)に対比して、小正力と呼ばれる。
人物・来歴=
正力松太郎の長男として、東京府で生まれる。
慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部を経て、1942年に慶應義塾大学経済学部卒業。
普通部では野球部で投手兼4番を務め、大学では、1年間選手を経験した後、マネージャーに転向している。
1944年10月、海軍主計大尉だった亨が乗り込んだ旗艦「南海」は、インドネシア・ボルネオ島沖のマカッサル海峡で敵潜水艦の魚雷により撃沈され、亨は重油の海を10時間漂う体験をもつことになった。
敗戦はサイゴンで迎え、1946年5月に復員した。
1956年7月、読売新聞事業本部に嘱託として入社。
1963年に父から報知新聞の経営を任される。
だが、報知争議で報知新聞を追われ、 1968年11月、日本テレビ副社長に転じる。
日本テレビ副社長に就任した亨が最初に断行したことは、同社の役員だった異母弟の武を、傍系のよみうりランドに追放したことだった。
武はその後、2度と日本テレビに復帰することはなく、自身の人生を呪う様に酒を浴びるほど飲み続け、51歳で死んだ。
しかし武の葬儀には亨も参列し、大声を上げて泣き、その姿を見た関係者は「やはり血は水より濃い」と囁き ……
正力亨さんが誕生してから、106年と28日が経過しました。(38745日)
亡くなってから、13年と99日が経ちました。(4847日)
33898日間 生きました。