伊藤庸二いとうようじ
囲碁棋士[日本]
1958年 12月31日 生 (満65歳)
伊藤 庸二(いとう ようじ、1901年3月5日 - 1955年5月9日)は、日本の海軍軍人、工学者、無線技術者。
ドレスデン工科大学Doctor、東京帝国大学工学博士。
最終階級は海軍技術大佐。
生涯=
生い立ちから海軍技術研究所の初期まで=
1901年(明治34年)3月5日、千葉県夷隅郡御宿村(現・御宿町)に、御宿尋常高等小学校長伊藤鬼一郎の次男として誕生。
伊藤家は御宿郷の名主の家系だった。
旧制第一高等学校を卒業後、東京帝国大学の1年生の時に海軍委託学生になり、1924年(大正13年)3月、同大学工学部電気工学科を卒業。
翌月、海軍造兵中尉(技術科士官第13期)に任官する。
当時、欧米で電波技術が顕著に発展していたことから海外に技術者を留学させることとなり、1926年8月、箕原勉の推薦によりその候補に選ばれた。
1926年11月にドイツ入りし、ドイツ語の習得後、1927年(昭和2年)4月、ドレスデン工科大学にてハインリッヒ・バルクハウゼン教授の下で学ぶ。
なお、留学先については八木秀次に相談して決めたという。
同大学にて無線用真空管の研究をし、卒業論文「二極真空管理論並びに超低周波発生」をまとめ、1929年7月に博士号を取得。
1929年8月に飛行船ツェッペリンで同乗したことをきっかけに草鹿龍之介と交流を持ち、その後、草鹿の相談に応じて助言をしていたという。
伊藤は、電波技術を索敵・攻撃兵器に応用すべきと早くから訴えていた。
帰国後は海軍技術研究所電気研究部 ……
伊藤庸二さんが誕生してから、65年と326日が経過しました。(24067日)