生年月日データベース

古谷三敏ふるやみつとし

漫画[日本(満州)]

1936年 8月11日

2021年 12月8日 死去がん享年86歳
古谷三敏 - ウィキペディアより引用

古谷 三敏(ふるや みつとし、1936年8月11日 - 2021年12月8日)は、日本の漫画家。
満洲の奉天生まれ、茨城県鹿島郡神栖町(2005年より神栖市に)出身。
薀蓄を多く含んだ漫画を得意とする。
経歴・人物= 長男であるが、父親が満洲に渡って三年目に生まれたため三敏と名付けられた。
父親は奉天の千日仲見世通りで割烹寿司店を経営。
田中絹代や双葉山も来店するような名店だったが、賭博好きが高じて摘発され、一週間勾留されたことで寿司ネタが全て腐ってしまい、北京の六条胡同に引っ越す。
父親は更に北戴河の陸軍病院の炊事係になった。
三敏は秦皇島の小学校へは片道5時間、後に出来た分校までも2時間かかって通った。
1955年、19歳のときに『みかんの花咲く丘』(島村出版)でデビュー。
1958年に手塚治虫のアシスタントになり、1961年に一度独立して月刊『少女』(光文社)等に連載を持つ。
1963年に編集者の推薦により赤塚不二夫のアシスタントになる。
赤塚とは年齢が1歳しか違わないこともあり、師弟というよりは親友、相棒という関係に近かった。
1965年に赤塚不二夫が設立したフジオ・プロダクションに参加。
フジオプロ在籍時代はアイディアスタッフのメインとして『おそ松くん』『天才バカボン』など赤塚作品に多く関わっていたほか、並行して少女誌を中心に自作も手掛け、1970年から『週刊少年サンデー』に連載した『ダメおやじ』のヒットで、少年誌向けギャグ漫画 ……

古谷三敏さんが誕生してから、88年と102日が経過しました。(32244日)
亡くなってから、2年と348日が経ちました。(1079日)
31165日間 生きました。

推定関連画像