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マヌエル1世コムネノス

ローマ帝国皇帝[東ローマ帝国]

(ユリウス暦) 1118年 11月28日

(ユリウス暦) 1180年 9月24日 死去享年61歳
マヌエル1世コムネノス - ウィキペディアより引用

マヌエル1世コムネノス“メガス”(ギリシア語:Μανουήλ Α' Κομνηνός o Μέγας (Manūēl I Komnēnos o Megas)、1118年11月28日 - 1180年9月24日)は、東ローマ帝国コムネノス王朝の第3代皇帝(在位:1143年 - 1180年)。
同王朝第2代皇帝ヨハネス2世コムネノスとハンガリー王ラースロー1世の王女エイレーネー(イレーネー)の子。
“メガス”は「偉大なる」という意味の渾名。
彼に仕えた者が非常な忠誠心を抱き、秘書や配下の将兵に賞賛されたことに由来する。
中世ギリシア語では「マヌイル1世コムニノス」。
生涯= 十字軍への対応= マヌエルは四男であったが、長兄のアレクシオスと次兄のアンドロニコスが1142年に相次いで早世し、1143年に父が狩猟の事故で急死した結果、遺言で皇位継承者として選ばれた。
首都コンスタンティノープル(コンスタンティノポリス)で留守を預かっていた三兄イサキオスを拘束して機先を制し、戴冠式を行い即位した(その後イサキオスを解放して和解)。
1146年、即位前に父とドイツ王コンラート3世との間で決められた約束で、コンラート3世の義妹ベルタ・フォン・ズルツバッハと結婚した。
これはシチリア王ルッジェーロ2世の拡張政策に対抗するためだった。
翌1147年に十字軍国家・エデッサ伯国の陥落をきっかけに第2回十字軍が結成、コンラート3世とフランス王ルイ7世が参加した十字軍がコンスタンティノープルへ到来した。
マヌエル1世は9月に先に到着し ……

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