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ヨハネス2世コムネノス

ローマ帝国皇帝[東ローマ帝国]

(ユリウス暦) 1087年 9月13日

(ユリウス暦) 1143年 4月8日 死去享年56歳
ヨハネス2世コムネノス - ウィキペディアより引用

ヨハネス2世コムネノス(ギリシア語:Ιωάννης Β' Κομνηνός (Iōannēs II Komnēnos)、1087年9月13日 - 1143年4月8日)は、東ローマ帝国コムネノス王朝の第2代皇帝(在位:1118年 - 1143年)。
同王朝初代皇帝アレクシオス1世コムネノスの子。
「カロヨハネス」と讃えられた。
中世ギリシア語形では「ヨアニス2世コムニノス」。
生涯= 1087年9月13日、皇帝アレクシオス1世の長男として生まれたが、当時アレクシオスは前王朝であり皇后エイレーネー・ドゥーカイナの実家でもあるドゥーカス家のコンスタンティノス・ドゥーカス(ミカエル7世ドゥーカスの息子)を長女アンナ・コムネナの婚約者・帝位継承候補者として扱い、兄イサキオスを差し置いて帝位に就いたことへの配慮からイサキオスの息子ヨハネスも帝位継承候補者として扱っていたため、彼らや有力貴族層からの反発などを恐れてすぐにはヨハネスを帝位継承者とはしなかった。
ヨハネスが正式に帝位継承者として共同皇帝に戴冠されたのは1091-1092年の間とされている。
1118年、既に共同皇帝となっていたヨハネスは、父の死により皇帝ヨハネス2世コムネノスとして即位した。
しかし、その際には姉のアンナと母エイレーネーが、アンナの夫ニケフォロス・ブリュエンニオスを後継者に据えようとしていたたため、父の死期が近いことを確認したヨハネスは、父が死去する前に急いで大宮殿へ赴いて即位の既成事実を作らなくてはならなかった。
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