梓みちよあずさみちよ
歌手[日本]
1943年 6月4日 生
2020年 1月28日 死去享年78歳

梓 みちよ(あづさ みちよ、1943年6月4日[1] - 2020年1月29日[3])は、日本の歌手、女優。
本名は林 美千代(はやし みちよ)[1]。
血液型はO型[2]。
株式会社アラベスク所属で株式会社プロダクション尾木と業務提携。
日本統治下の朝鮮釜山市生まれ。
福岡県福岡市博多区出身[2]。
福岡女学院中学校・高等学校2年中退[4]。
宝塚音楽学校中退[5]。
1960年代から1970年代を中心にヒットを飛ばした。
アメリカンポップスから歌謡曲まで幅広いレパートリーを持つ。
略歴=
1960年、福岡女学院高校を2年で中退して宝塚音楽学校に48期生として入学。
同校在学中に渡辺プロダクションのオーディションに応募し合格し、上京し契約する[2](宝塚音楽学校は中退[5])[6]。
約1年間のレッスンを経て、1962年に“ボサノバ娘”のキャッチフレーズでキングレコードより「ボッサ・ノバでキッス」でデビューし[2]、歌手として本格的に活動を始める。
芸名の名付け親は渡辺プロダクション創業者の渡辺晋[7]。
「梓弓のようにしなやかで強くなって欲しい」の意味で名付けられたという[7]。
1963年7月、『夢であいましょう』の今月の歌として発表された[2]「こんにちは赤ちゃん」(作詞・永六輔、作曲・中村八大)が大ヒットとなり、同年12月の第5回日本レコード大賞の大賞を受賞[1]。
また『第14回NHK紅白歌合戦』にも初出場を果たし、人気歌手としての地位を得た。
また同曲は翌1964年3月の第36回選抜高校野球大 ……
梓みちよさんが誕生してから、82年と26日が経過しました。(29977日)
亡くなってから、5年と154日が経ちました。(1980日)
27997日間 生きました。