戸塚哲也とつかてつや
元男子サッカー選手、解説者、監督[日本]
1961年 4月24日 生 (満63歳)
戸塚 哲也(とつか てつや、1961年4月24日 - )は、東京都世田谷区出身の元サッカー選手(元日本代表)、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)、サッカー解説者。
都立世田谷工業高校自動車科卒。
息子はギタリストのTAIKING。
来歴=
少年時代=
世田谷区二子玉川で育ち、都並敏史とは小中学校の同級生で、ペレに憧れたサッカー少年であった。
読売クラブの下部組織で育ち、天才少年と呼ばれた。
日本リーグ時代=
1979年4月25日の東洋工業戦において、18歳と1日で日本サッカーリーグデビューを飾った。
これは当時の最年少出場記録でもあった。
1981年にはスペインのバレンシアCFにサッカー留学。
1983年に監督に就任したルディ・グーテンドルフによってMFからFWへコンバート。
ポジションの変更は当時読売クラブでエースFWであったラモスとの単純な入れ替えであったと評す向きもあるが、翌1984年に14得点を上げリーグ得点王に輝いている。
日本リーグ末期からJリーグ黎明期の読売クラブ/ヴェルディ川崎の黄金期を支えるエースストライカーであった。
キープ力に定評があり、JSL東西対抗戦(オールスターサッカー)にも数回選出され、1987年大会で2得点を決めてMVPに選出された。
1990-91シーズン、2度目のJSL得点王を獲得した。
Jリーグの開幕を控えた、1992年のJリーグカップ決勝、清水エスパルス戦では、ドリブルからのパスで三浦知良の決勝ゴールをアシストして優勝に貢献した。
日本代 ……
戸塚哲也さんが誕生してから、63年と211日が経過しました。(23222日)