泉アツノいずみあつの
占い師[日本]
1925年 7月9日 生 (満99歳)
泉 アツノ(いずみ あつの、1925年7月9日 - )は、日本の占い師。
白蛇占いで人気があった。
来歴=
特筆のない限り、この節の出典は著書『こんなん出ましたけど』による。
大阪市東区(現中央区)の生まれ。
子供の頃から霊感があったという。
最初は歌手を目指していた。
1939年に宝塚歌劇団29期生として、若梅昌子(わかうめ あきこ)の芸名で在籍。
宝塚歌劇団は1944年に退団。
その後上京し、古賀政男の下に弟子入りして「泉あつ子」の芸名をもらい、日本コロムビア所属となって歌手として活動していたが、うまくいかず、大阪へ戻る。
そして「画数は15画がいいということを聞いたから」といった理由で、自分で「泉アツノ」を名乗るようになる。
1950年代は大阪で、テレビの舞台中継などでミヤコ蝶々、榎本健一らと共演したことがあり、関西テレビなどで時代劇の端役として出演していたこともあった。
その後結婚するも離婚。
宝塚歌劇団時代の先輩が経営していたクラブの手伝いを始めたのがきっかけで、後に大阪の北新地でクラブのママとなって務めていたこともあった。
その後、心理学者で当時日本占術協会会長だった浅野八郎の助言もあって、子供の頃からあった霊感を生かして、霊感、憑依を得意とした占い師として活動を始める。
浅野が澤田隆治(当時朝日放送在籍)を連れて来て泉に会わせたことがきっかけとなって、霊能者としてテレビ出演もするようになる。
泉アツノさんが誕生してから、99年と135日が経過しました。(36295日)