生年月日データベース

本多静六ほんだせいろく

林学学者、造園家[日本]

(慶応2年7月2日生)

1866年 8月11日

1952年 1月29日 死去享年87歳
本多静六 - ウィキペディアより引用

本多 静六(ほんだ せいろく、慶応2年7月2日(1866年8月11日) - 昭和27年(1952年)1月29日)は、日本の林学者、造園家、株式投資家。
日本の「公園の父」といわれる。
旧名、折原静六。
東京帝国大学農科大学教授となり、「月給4分の1天引き貯金」を元手にした投資で富を築き、定年退官とともに全財産を寄付した。
孫に光触媒研究の本多健一がいる。
経歴= 武蔵国埼玉郡河原井村(現埼玉県久喜市菖蒲町河原井)に折原家の第6子として生まれた。
東京山林学校に入学するまでのあいだ河原井村で少年時代を過ごした。
当時の河原井村は、戸数25軒ほどの小さな村だったが、中でも折原家は代々名主役を務める裕福な農家だった。
ところが9歳の時に父親が急死すると同時に多額の借金が家に舞い込み、今までとは違った苦しい生活を強いられるようになった。
しかしそれでも向学心は衰えることなく、14歳の年、志を立てて島村泰(元岩槻藩塾長)のもとに書生として住み込み、農閑期の半年は上京し勉学に努め、農繁期の半年は帰省して農作業や米搗つきに励むという変則的な生活を3年間繰り返した。
明治17年(1884年)3月、東京同人学校(後に東京農林学校から帝国大学農科大学)に入学した。
卒業時には首席となり、銀時計が授けられた。
卒業1年前の明治22年(1889年)5月、元彰義隊隊長本多敏三郎の娘・詮子と結婚し婿養子となった。
東京農林学校(現在の東京大学農学部)を卒業とと ……

本多静六さんが誕生してから、158年と101日が経過しました。(57811日)
亡くなってから、72年と297日が経ちました。(26595日)
31216日間 生きました。

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