鈴木敬介すずきけいすけ
オペラ演出家[日本]
1934年 6月28日 生
2011年 8月22日 死去肝硬変享年77歳
鈴木 敬介(すずき けいすけ、1934年(昭和9年)6月28日 - 2011年(平成23年)8月22日)は、日本のオペラ演出家。
経歴=
東京出身。
慶應義塾大学在学中から演出や振付、舞台監督の経験を積んだという。
オペラとの関わりの記録の初出は1961年(昭和36年)藤原歌劇団靑年グループ第15回公演、ラモー室内楽団・青年グループ提携公演イイノホールでのロルフ・リーバーマン作曲『女房学校』舞台監督である。
1962年にも、東京労音2・3月例会 文京公会堂・東京文化会館大ホールでのマスカーニ『カヴァレリア・ルスティカーナ』レオンカバッロ『道化師』舞台監督を務めている。
1963年(昭和38年)に日生劇場に入社。
日生劇場のこけら落としとして招かれたベルリン・ドイツ・オペラ(カール・ベーム、ロリン・マゼール、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ等が来日)の公演で舞台監督をつとめ、本格的にオペラの世界に入った。
のちに渡独しベルリン・ドイツ・オペラの演出助手になったことから推測するに、その際の影響はきわめて大きかったと思われる。
その後、1964年(昭和39年)日生劇場ヒンデミット『ロング・クリスマス・ディナー』プーランク『人間の声』ストラヴィンスキー『放蕩者のなりゆき』で舞台監督。
1966年(昭和41年)日生劇場・二期会提携公演 モンテヴェルディ『ポッペアの戴冠』でオペラ演出家としてデビュー。
1969年(昭和44年)からはベルリンに渡って、ベルリン ……
鈴木敬介さんが誕生してから、90年と146日が経過しました。(33019日)
亡くなってから、13年と92日が経ちました。(4840日)
28179日間 生きました。