井手俊郎いでとしろう
脚本家[日本]
1910年 4月11日 生
1988年 7月3日 死去享年79歳
井手 俊郎(いで としろう、1910年4月11日 - 1988年7月3日)は、日本の脚本家。
息子はプロ野球・元中日ドラゴンズ選手の井手峻。
筆名(併用)=権藤利英、三木克巳。
来歴・人物=
佐賀県北波多村徳須江出身。
祖父・井手豊助は1890年(明治23年)の公選で初代北波多村長となり、父の金次郎は政友会を北波多村に建て村議となった。
生家は質店を営み、現存する当時の店舗兼住宅建物は2019年に国の登録有形文化財に登録されている。
旧制佐賀県立唐津中学(現・佐賀県立唐津東中学校・高等学校)を経て、官立東京高等工芸学校(現在の千葉大学工学部意匠科)を卒業する。
商業美術家としてパピリオ化粧品、アサヒビール、婦人画報社などの宣伝部嘱託を務めた。
戦時体制になってきたため定職につくことを考え、1937年、東宝宣伝部の招きに応じて入社。
宣伝部から劇場担当に移る。
直営館の支配人として各地を転任し、戦時中は愛媛県松山や朝鮮京城の映画館主を務め、巧みな宣伝で好成績を収めた。
その後、兵役につく。
子息の峻の回想では戦争中に郷里の唐津に家族で移ったという。
敗戦後、会社に戻ると撮影所に配属され、プロデューサー助手となる。
プロデューサーとして製作にかかわった1949年の『青い山脈』で監督が脚本家の台本を気に入らず、仕方なく脚本を執筆したところ採用されることとなり、これが脚本家デビューとなる。
東宝争議で退社したのちは藤本プロダク ……
井手俊郎さんが誕生してから、114年と224日が経過しました。(41863日)
亡くなってから、36年と141日が経ちました。(13290日)
28573日間 生きました。