霧島一博きりしまかずひろ
相撲力士[日本]
1959年 4月3日 生 (満65歳)
霧島 一博(きりしま かずひろ、1959年(昭和34年)4月3日 - )は、鹿児島県姶良郡牧園町(現在の霧島市)出身で井筒部屋(入門時は君ヶ濱部屋)所属の元大相撲力士。
本名は吉永 一美(よしなが かずみ)。
最高位は東大関。
現役時代の体格は身長187cm、体重132kg。
得意手は左四つ、寄り、吊り、出し投げ。
うっちゃり。
現在は年寄・陸奥。
弟子の霧島鐵力と区別して「初代霧島」と呼ばれることもある。
来歴=
農家の長男として生まれる。
幼少時から体を鍛えるのが好きで、小学校では3年生の時から真冬でも頭から水をかぶって登校し、5年生からは重さ3kgもある鉄下駄を履くなどしていた。
中学生のときに柔道二段となり、君ヶ濱親方(元関脇・鶴ヶ嶺、後の井筒親方)夫妻が牧園町の自宅に勧誘に訪れた。
最初は断わったものの母親が後押しし、反対していた父親も折れたため、中学卒業後に君ヶ濱部屋に入門した。
2つ上の姉は痩せっぽちの吉永を見て「絶対に相撲ではやっていけない」と見込みがないと思ったという。
初土俵〜十両時代=
1975年(昭和50年)3月場所に本名で初土俵。
同期生にはのちの大関若嶋津、関脇太寿山、師匠の長男である十両鶴嶺山らがいた。
中でも鶴嶺山とは同部屋・同期・同学年の関係である。
序二段時代の1976年(昭和51年)5月場所後に故郷の霧島山にちなんで霧島へ改名した。
三段目から始めたウェイトトレーニングと高蛋白食で次第に上位で ……
霧島一博さんが誕生してから、65年と235日が経過しました。(23976日)