生年月日データベース

赤尾好夫あかおよしお

旺文社 創業者[日本]

1907年 3月31日

1985年 9月11日 死去享年79歳

赤尾 好夫(あかお よしお、1907年(明治40年)3月31日 – 1985年(昭和60年)9月11日)は、日本の出版人、放送人である。
旺文社社長、日本教育テレビ(現・テレビ朝日)社長、文化放送会長などを務めた。
来歴・人物= 赤尾良平・ゆうの三男として、山梨県東八代郡英村(現・笛吹市石和町)に生まれる。
良平は肥料商を営む進取に富んだ人であり、母は文学を愛する教養人であったが、やや病弱で好夫が13歳のときに他界した。
山梨県立日川中学校(現・山梨県立日川高等学校)を経て、東京外国語学校(現・東京外国語大学)イタリア語科を卒業。
1931年10月、折からの不況で就職を諦めた好夫は、父親から資金を得て「歐文社通信添削会(現・旺文社)」を目白文化村の民家で創業した。
学校を出たばかりの好夫に、出版の心得はない。
だが、地方在住の中学生向けの通信添削といった受験対策事業を手始めに、徐々に『英語基本単語集(赤尾の豆単)』など英語参考書の出版も手掛け、これが大当たりした。
1942年、歐文社の歐の字が敵国につながるとして、社名を「旺文社」に変更。
1944年9月、旺文社を株式会社組織にして社長に就任する。
終戦後、旺文社は講談社、主婦の友、家の光協会等とともに戦犯出版社として名を挙げられた。
1947年11月、39歳で好夫はG項(超国家主義者)該当で公職追放に遭い、出版界を追われる。
これによって、一家は都下の調布町(現・調布市)に蟄居する ……

赤尾好夫さんが誕生してから、118年と246日が経過しました。(43346日)
亡くなってから、40年と82日が経ちました。(14692日)
28654日間 生きました。

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