倉田保昭くらたやすあき
俳優[日本]
1946年 3月20日 生 (満78歳)
倉田 保昭(くらた やすあき、1946年3月20日 - )は、日本のアクション俳優、武道家。
本名は同じ。
空手七段、柔道三段、合気道二段。
愛称は和製ドラゴン。
俳優以外に倉田プロモーション代表、全日本双節棍道連盟最高顧問、創武館道場代表。
創造学園大学(2013年に閉校)創造芸術学部芸術学科客員教授も務めていた。
略歴=
茨城県新治郡桜村(現・つくば市)出身。
父親は織物業を営み、少年時代から父親の元で空手の練習に励む。
しかし小学4年生の時に父の会社が倒産、埼玉県大宮市(現:さいたま市)に一家で引越し、この時から糸東流空手の道場に通い始める。
高校は東京にある海城高等学校に入学し、柔道部で活躍する。
高校卒業後、1年間の浪人生活を経て日本大学芸術学部演劇学科に入学する。
中学、高校でマスターした空手、柔道に続く新しい試みとして合気道を始め、大学4年の時には合気道部を設立する。
大学卒業の時、友人に誘われるまま、東映演技研修所の第一期生となり、1966年、テレビドラマ『丸出だめ夫』でデビューする。
翌年『続・組織暴力』で映画デビューを果たした。
その後、東京俳優生活協同組合に籍を移して、『柔道一直線』(TBS)や『中学生群像』(NHK)などのテレビドラマに出演する。
1971年、この当時、香港映画界の最大勢力だったショウ・ブラザーズのオーディション(日本の帝国ホテルで開催)に合格したのを機会に、折りからブーム ……
倉田保昭さんが誕生してから、78年と246日が経過しました。(28736日)