生年月日データベース

中沢啓治なかざわけいじ

漫画[日本]

1939年 3月14日

2012年 12月19日 死去享年74歳
中沢啓治 - ウィキペディアより引用

中沢 啓治(なかざわ けいじ、本名同じ。
1939年〈昭和14年〉3月14日 - 2012年〈平成24年〉12月19日)は、日本の漫画家。
代表作に『はだしのゲン』など、広島市への原子爆弾投下による自身の被爆体験を基に、戦争・平和を題材とした作品を数多く発表している。
生涯= 代々漆塗りを生業としていた家に、4男1女の5人兄弟の4番目の子(三男)として出生、広島県広島市舟入本町(現在の広島市中区舟入本町)に生まれ育つ。
父は日本画家、蒔絵師で、演劇活動にも参加。
反戦主義者のため、思想犯として特別高等警察により連行され、1年2カ月の間拘置され、拷問を受けたような人物だったという。
1945年(昭和20年)8月6日、広島市立神崎国民学校(現在の広島市立神崎小学校)1年生だった時に広島で被爆した。
友達の母親に呼び止められ、自身は建物の塀の影に入ったことで熱線を浴びず、奇跡的に助かるが、父、姉、末弟の3人を失った。
次いで原爆投下当日に生まれた妹も4カ月半後に死亡。
これらは『はだしのゲン』の原爆投下時のエピソードとほぼ同じである。
終戦後に手塚治虫の『新宝島』を読んで感動し、漫画を描き始める。
広島市立江波中学校在学中は『漫画少年』などへの投稿に熱中。
やがて漫画家になることを決意する。
中学時代の1951年に刊行された長田新編による『原爆の子〜広島の少年少女のうったえ』の「序」には、被爆直前を記した中沢の手記の一部が引用されてい ……

中沢啓治さんが誕生してから、85年と253日が経過しました。(31299日)
亡くなってから、11年と337日が経ちました。(4355日)
26944日間 生きました。

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