渡邊亮徳わたなべよしのり
映画プロデューサー[日本]
1930年 2月18日 生
2019年 5月20日 死去老衰享年90歳
渡邊 亮徳(わたなべ よしのり、1930年2月18日 - 2019年5月20日)は、日本の映画・実写特撮、アニメーション、テレビプロデューサー、元東映社員。
東京府(現在の東京都)出身。
専修大学卒業。
東映株式会社本社副社長、東映ビデオ株式会社代表取締役社長、株式会社東急エージェンシー顧問、株式会社伊藤園、株式会社東北新社顧問、(社団法人)日本映画テレビプロデューサー協会副会長などを務めた。
来歴
1952年1月に東映へ入社し、営業部配給課営業係に配属された。
1953年に関東支社営業一課へ異動。
1958年から東京担当となった。
1959年に東映にテレビ課が新設され、初代課長となった今田智憲から東映社長大川博への進言により、1964年6月には営業部テレビ課に移動し、今田の後任として課長就任。
テレビ事業部長兼テレビ企画営業部長などを経て、東映テレビ部部長に昇進。
1986年東映専務取締役に就任。
1989年6月に東映ビデオ社長に就任。
1994年東映取締役副社長に就任。
1995年の税務調査で、渡邊の度を超えた会社のカネの使い込みが発覚。
これが大きな問題となり、責任を取る形で東映副社長、および東映グループ16社の役員を1996年4月5日付けで辞任、東映から離れた[17]。
東映退社後は、個人事務所「渡邊事務所」を作って活動した。
大下英治著『
渡邊亮徳さんが誕生してから、94年と276日が経過しました。(34610日)
亡くなってから、5年と186日が経ちました。(2012日)
32598日間 生きました。