大宮守人おおみやもりと
料理人[日本]
1919年 2月13日 生
2000年 4月29日 死去享年82歳
大宮 守人(おおみや もりと、1919年2月13日 - 2000年4月29日)は、日本の料理人。
ラーメン店『味の三平』初代店主。
札幌の味噌ラーメンの発明者。
人物=
北海道旭川市出身。
戦前 - 戦中は南満州鉄道に機関士として勤務し、戦後の1948年(昭和23年)より札幌でつぶ貝とうどんを出す屋台を始めた。
隣には後に有名なラーメン店『龍鳳』を出す松田勘七が、ラーメンの屋台を出して繁盛していた。
松田の薦めもあり、大宮も松田の店での修業を経て、1950年(昭和25年)には札幌市中央区南7条西3丁目のすすきのに『味の三平』を開店。
同じ敷地に同じ頃、松田も『龍鳳』を始める。
その後大宮は、雑誌『リーダーズ・ダイジェスト』に掲載された、スイスの食品メーカー・マギー社の社長の文章を目にして衝撃を受ける。
内容は味噌の効用を高く評価した上で「日本人はもっとこれを料理に活用するべき」と述べたもので、それ以来、大宮は味噌を用いたラーメンの開発に従事する。
日本各地から味噌を取り寄せたり、試作品を常連客に出して意見を聴くなど試行錯誤を重ねた末、1955年(昭和30年)に「味噌ラーメン」の開発に成功。
同年、雑誌『暮らしの手帖』で、同誌編集長の花森安治が『味の三平』を紹介したことから、店の知名度は全国的なものとなり、さらに繁盛することとなる。
大宮が味噌ラーメンを正式に店のメニューに載せたのは1963年(昭和38年)のことで、これは旧友で大通の「 ……
大宮守人さんが誕生してから、105年と282日が経過しました。(38633日)
亡くなってから、24年と206日が経ちました。(8972日)
29661日間 生きました。