順治帝
清朝第3代皇帝[清]
1638年 3月15日 生
順治帝(じゅんちてい)は、清の第3代皇帝。
諱はフリン(満洲語: ᡶᡠᠯᡳᠨ 福臨 日本語読み:ふくりん)、廟号は世祖。
在世時の元号順治を取って順治帝と呼ばれる。
入関後(中国支配の開始後)の清の土台を確固たるものとし、次代の康熙帝・雍正帝・乾隆帝の三世の春、いわゆる康雍乾盛世の黄金時代を導く役割をした。
なお、現在中国を支配している中国共産党は初代ヌルハチと第2代ホンタイジを清の前身である後金の皇帝とし、順治帝を清の初代皇帝と位置付けている。
生涯=
即位まで=
ホンタイジの第9子として生まれる。
母は永福宮荘妃(ボルジギト氏)。
崇徳8年(1643年)、ホンタイジが急病で遺言を残さずに崩御した。
後継として、最初はホンタイジの兄ダイシャンが候補に挙がったが人望がなく、自ら辞退した。
ホンタイジの長子の粛親王ホーゲは有力な候補であったが、ホンタイジの弟でホーゲより年少の睿親王ドルゴンを推す一派がより優勢であった。
ドルゴンはホーゲ一派との全面衝突を避け、ホーゲの異母弟である6歳のフリンを皇帝に推した。
フリンを皇帝にすれば、ホーゲの帝位継承の目は完全に潰れる。
ホンタイジの実子に帝位を継がせることには変わりないので、多くの貴族が納得する。
6歳のフリンなら自分が制御できる。
という計算だった。
結果、フリンが皇帝に推戴され、ドルゴンと、ヌルハチの弟の息子ジルガランが摂政となった。
順治帝さんが誕生してから、386年と248日が経過しました。(141235日)