欠端光則かけはたみつのり
元プロ野球選手[日本]
1963年 1月10日 生 (満61歳)
欠端 光則(かけはた みつのり、1963年〈昭和38年〉1月10日 - )は、岩手県二戸郡福岡町(現:二戸市)出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴=
岩手・福岡高では、1年秋の県大会準決勝では盛岡工の田鎖博美と投げ合って救援を受けるも勝利したが決勝は登板せずに敗退。
1979年の2年生の時に夏の県大会決勝に進むが、久慈高に敗れ甲子園出場を逸する。
秋は県大会を制して東北大会で高山郁夫が先発した秋田商戦で救援登板したが敗れた。
翌1980年の春季東北大会でも決勝に進出し、途中救援で東北高の中条善伸と投げ合うが惜敗。
しかし同年夏は県予選決勝で水沢高を降し、福岡高を19年ぶりの甲子園に導く。
夏の甲子園では1回戦で大分商業高に敗退。
1980年のプロ野球ドラフト会議でロッテオリオンズから3位指名を受け入団。
同期には愛甲猛がいた。
1982年に一軍初登板を果たし、4月中旬から10試合に先発するが1勝6敗に終わる。
その後は主に中継ぎとして登板した。
1983年シーズンオフの11月、右田一彦・竹之内徹との交換トレードで新谷吉孝と共に横浜大洋ホエールズに移籍。
移籍後は速球とフォークボールを武器に主に先発投手として活躍し、当時慢性的な投手不足だった大洋のローテーションを支えた。
1985年には初めて規定投球回(17位、防御率5.07)に到達。
当時全盛の強さを誇っていた広島東洋カープに強く「カープキラー」の異名をとった。
当時、横浜大洋のエースだった ……
欠端光則さんが誕生してから、61年と316日が経過しました。(22596日)