生年月日データベース

松鶴家千とせしょかくやちとせ

漫談家、司会者[日本(満州)]

1938年 1月9日

2022年 2月17日 死去心不全享年85歳

松鶴家 千とせ(しょかくや ちとせ、本名:小谷津 英雄(こやつ ひでお)、1938年〈昭和13年〉1月9日 - 2022年〈令和4年〉2月17日)は、日本の漫談家、歌手、作詞家。
全国さつまいもの会会長、東京演芸協会常任理事、南相馬市ふるさと親善大使を務めた。
アフロヘアーと、「俺が昔、○○だった頃、○○は○○だった。
○○は○○で、○○は○○だった。
わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ」のフレーズ、「イェーイ!」で決めるピースサインのポーズがトレードマークで1970年代に人気を博した。
来歴[編集] 満洲国で産まれる。
水道設計技師の実父の仕事で在満していたが、1945年に父がソ連軍の捕虜になったため、母と共に6人で満洲を脱出し日本に帰還(父はその後6年間の抑留を経て日本に帰還)。
父の生まれは福島県原町(その後の南相馬市)で、親族は小谷津工務店という建築業をしている。
福島県立原町高等学校を中退後、ジャズシンガーを志し1953年に上京し、松鶴家千代若・千代菊に入門。
歌謡学校で歌を勉強しながら、理容学校を卒業後、歌手修業を積みつつ、1958年に国際理容師の免許を取得した。
1960年、西秀一の名前を貰い、都上英二門下の都上秀二のコンビを結成。
秀一・秀二のコンビ名で関東近郊の公会堂などで漫談、漫才で出演し、妻の千枝子と結婚。
その後宮田羊かんとコンビを組み直し、1967年に千とせ流家元三代目松鶴家千とせを襲名。
松鶴家千とせ・宮田羊 ……

松鶴家千とせさんが誕生してから、86年と199日が経過しました。(31611日)
亡くなってから、2年と160日が経ちました。(891日)
30720日間 生きました。

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