隠元隆琦いんげんりゅうき
僧侶[中国]
(日本に黄檗宗を伝える)
1592年 12月7日 生
1673年 5月19日 死去
隠元隆琦(いんげん りゅうき、特諡として大光普照国師、仏慈広鑑国師、径山首出国師、覚性円明国師、勅賜として真空大師、華光大師、厳統大師)は、明末清初の禅宗の仏教僧。
江戸時代初期に来日し、日本黄檗宗の祖となった。
俗姓は林氏。
福建省福州府福清県の出身。
隠元自身は臨済正宗と称していたが、独特の威儀を持ち、禅と様々教えを兼ね併せる当時の「禅浄双修」の念仏禅や、「禅密双修」の陀羅尼禅を特徴とする明朝の禅である「明禅」を日本に伝えた。
また、道者超元と共に当時の禅宗界に多大な影響を与え、江戸時代における臨済・曹洞の二宗の戒律復興運動等にも大きな貢献をした。
なお、明代の書をはじめとして当時の中国における文化や文物をも伝え、隠元豆の名称に名を残し、日本における煎茶道の開祖ともされる。
能書家としても知られ、木庵性瑫・即非如一とともに「黄檗の三筆」と称される。
江戸時代前期の文化のうち、隠元の影響が見られるこれらを「黄檗文化」と総称することもある。
経歴=
生い立ちから来日まで=
万暦20年(日本の文禄元年)11月4日(1592年12月7日)、福建省福州府福清県万安郷霊得里東林に生まれる。
俗名は林曽炳。
3人兄弟の末っ子。
父の林徳龍は、在田と号した。
6歳の時、父の林徳龍は湖南・湖北方面に赴き、以後、消息を絶つ。
10歳で仏教に発心する(16歳という説もあり)が、出家修道は母に許されなかった。
20歳の ……
隠元隆琦さんが誕生してから、431年と346日が経過しました。(157769日)
亡くなってから、351年と183日が経ちました。(128386日)
29383日間 生きました。