吉竹春樹よしたけはるき
元プロ野球選手[日本]
1961年 1月5日 生 (満64歳)

吉竹 春樹(よしたけ はるき、1961年1月5日 - )は、福岡県春日市出身の元プロ野球選手(外野手、左投左打)・監督・コーチ。
経歴=
九州産業高校では2年時にエースの梅津茂美を擁し、一塁手、六番打者として1977年夏の甲子園県予選決勝に進出。
田中和博、清家政和、野田雲平らのいた優勝候補筆頭の柳川商を降し、甲子園に出場。
本大会では2回戦(初戦)で福島商の三浦広之投手に完封を喫する。
翌1978年は県予選で敗退し、甲子園には出場できなかった。
高校卒業後は九州産業大学への特待生進学が決まっていたが、1978年オフにドラフト外で阪神タイガースに投手として入団。
1年目は打撃投手などを務め、2年目の1980年に内野手へ転向。
安芸キャンプで松木謙治郎に打撃を認められると、1981年には外野手へ転向。
1983年から4年連続して100試合以上に出場。
1983年は打率.330の好記録を残す。
1984年は開幕から一番打者、右翼手として起用され、74試合に先発出場。
1985年には21年ぶりのリーグ優勝に貢献。
同年の西武ライオンズとの日本シリーズで球団初の日本一に輝く。
しかし自身は3試合に中堅手として先発するが無安打、第5戦で守備固めに入り左犠飛で1打点を記録するにとどまった。
1986年オフ、田尾安志との交換トレードで前田耕司と共に西武ライオンズへ移籍。
1987年は開幕から二番打者、左翼手の定位置を得る。
しかしオールスターゲーム初出場直後の1987年8月11日の近鉄戦 ……
吉竹春樹さんが誕生してから、64年と176日が経過しました。(23552日)