関口房朗せきぐちふさろう
メイテック 創業者、競走馬オーナー[日本]
1935年 12月20日 生 (満88歳)
関口 房朗(せきぐち ふさお/ふさろう、1935年12月20日 - 2013年〜2018年5月)は、日本の実業家、馬主。
血液型はA型。
愛称は「フサロー」。
多くの派手な逸話により、豪快馬主だと評された。
名前の読みに関しては、「ふさお」とする記載、「ふさろう」とする記載で分かれているが、自身の公式サイトのプロフィールにおいては「ふさお」としている。
経歴=
尼崎市立尼崎産業高等学校を中退後、2年ほど個人経営の運送業を営むが、腰の支障により体を崩し廃業。
その後、実家の工場「関口工業技術」の営業として勤務。
1961年に、名古屋に移り「関口工業技術」名古屋出張所長になる。
1963年に関西精器を設立し、代表取締役社長に就任するが、1973年に倒産。
1974年に技術系アウトソーシング(人材派遣)の草分けとなる「株式会社名古屋技術センター」(現・株式会社メイテック)を設立。
仕事帰りに他社のオフィスビルに、まだ煌煌と明かりがついている光景を見てアウトソーシングを思いついた。
そしてダイレクトメールという言葉さえない時代に大手技術部長宛に手紙を出してトヨタ、三菱重工業などの大手と契約。
ボーイング社にも招かれボーイング727、747の設計にも参加することとなり一気に事業が拡大。
1980年に代表取締役社長に就任。
その後会社が軌道に乗り始め、競走馬の馬主資格を手に入れる。
1996年に所有する競走馬・フサイチコンコルドが日本ダービーを勝利した ……
関口房朗さんが誕生してから、88年と338日が経過しました。(32480日)