石田瑞穂いしだみずほ
地震学者[日本]
1943年 12月11日 生 (満80歳)
石田 瑞穂(いしだ みずほ、1988年1月22日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。
来歴
群馬県富岡市出身。
祖父と父が陸上競技選手というスポーツ一家に生まれ、母親がママさんバレーをしていた影響で、小学校3年生からバレーボールを始める。
中学3年次にはJOC杯で県代表メンバーに選抜される。
高崎商科大学附属高等学校では2004年、2005年春高バレーなどに出場し、主将として2006年アジアジュニア選手権(準優勝)、2007年世界ジュニア選手権(3位)に貢献した。
高校卒業時に、プレミアリーグの2チームからオファーがあり、練習環境が故郷に似た武富士バンブーに入部する。
2009年5月、武富士バンブーの廃部に伴い、同年7月、久光製薬スプリングスに移籍。
武富士時代のニックネームは「ミホ」だったが、スプリングスに同じニックネームを持つ筒井視穂子が在籍していた為、「ミズホ」に変更(ただし、迫田さおりなど親交のある他チームの選手の中には現在も「ミホ」の愛称を用いている者もいる)。
2009年4月、全日本女子代表メンバーに登録され、2010年11月、世界選手権に出場し、銅メダル獲得に貢献した。
2012年6月、ロンドンオリンピックの代表メンバーには漏れたが眞鍋政義監督の要請でリザーブメンバーに選出され、チームと帯同することになり、チームのサポートにあたっていたが、開会式の日に母が危篤状態であるとの知らせを受けて帰国。
この大会の女子バレーボールで日 ……
石田瑞穂さんが誕生してから、80年と346日が経過しました。(29566日)