東條昭平とうじょうしょうへい
映画監督[日本]
1939年 12月5日 生 (満84歳)
東條 昭平(とうじょう しょうへい、本名・東条 庄兵=読み同じ、1939年12月5日 - )は、主に特撮テレビドラマ作品の元監督・元演出家。
福島県喜多方市出身。
1966年、円谷プロ作品『ウルトラQ』にて助監督として関わり、キャリアをスタート。
翌々年の1968年、同プロダクション制作作品である『戦え!マイティジャック』で監督デビュー。
以降同プロダクションや東映制作の特撮テレビドラマを中心に活動を続けた。
来歴・人物=
円谷プロ時代まで=
特撮監督の佐川和夫とは大学の同期だったが、在学中は全く交流がなく、付き合いは円谷プロで仕事をするようになってからである。
大学卒業後にテアトルプロに入社。
助監督として東宝や大映のテレビドラマに参加した。
その後、テアトルプロのプロデューサーからの紹介で円谷プロダクションへ移籍し、『ウルトラQ』第6話「育てよ! カメ」から特撮に携わった。
本編版と特撮班の両方を経験した後、満田かずほの計らいにより『戦え! マイティジャック』(1968年、円谷プロ・フジテレビ)第7話「来るなら来てみろ!」でテレビ映画初監督を務めた。
映画監督デビューは『ジャンボーグA&ジャイアント』(1974年、円谷プロ)。
ウルトラシリーズでの監督デビュー作は、上原正三脚本の『帰ってきたウルトラマン』(1971年 - 72年)の第33話「怪獣使いと少年」であるが、同話数はその内容からTBSに「この作品は受け取れない」と断られ、リテイクを ……
東條昭平さんが誕生してから、84年と352日が経過しました。(31033日)