芦屋小雁あしやこがん
俳優[日本]
1933年 12月4日 生
2025年 3月28日 死去老衰享年92歳
芦屋 小雁(あしや こがん、1933年12月4日 - 2025年3月28日)は、日本の喜劇俳優。
本名は西部 秀郎(にしべ ひでお)[1]。
所属事務所は小雁倶楽部、さち子プロ。
来歴・人物=
京都府京都市出身。
生家は友禅染工場であったという[2]。
兄に俳優の芦屋雁之助、弟に芦屋雁平(初代芦屋凡凡)がいる。
雁之助の娘の西部里菜は姪。
父親も芸界が好きで、漫才師になり、雁之助と地方巡業していたことがあった[2]。
芸人にならなかった長兄は、京都の交通局に勤務したが、職場の劇団でプロレタリア演劇にかかわっていた[2]。
旧制中学中退後、さまざまな職業についた後、絵が好きだったことから、商業美術の世界に入り、映画看板などを描く[2]。
やがて、雁之助と漫才コンビ「若松ただし・きよし」を結成して活動する[2]。
そのころ、無名時代の藤田まことと出会う[2]。
1949年、芦乃家雁玉に弟子入りして「芦乃家雁之助・小雁」の名前をもらうが、雁之助の発案で「芦屋雁之助・小雁」になる[2]。
1954年ごろ、ヌードショーの幕間のコントの構成・演出をしていた花登筺と出会う[2]。
1958年、初のテレビのレギュラー番組「やりくりアパート」に雁之助とともに出演する[2]。
1959年、兄弟で出演したテレビ『番頭はんと丁稚どん』で人気を博す。
花登が東宝と決裂し松竹に製作元を移したため、東宝所属の茶川一郎が出演できなくなり、かわりに弟の芦屋雁平が出演するようになる[2]。
同 ……
芦屋小雁さんが誕生してから、91年と208日が経過しました。(33446日)
亡くなってから、94日が経ちました。
33352日間 生きました。