生年月日データベース

板坂元いたさかげん

評論家、日本文学者[日本(中国)]

1922年 11月21日

2004年 7月26日 死去享年83歳

板坂 元(いたさか げん、1922年11月21日 - 2004年7月26日)は、日本の日本文学者。
文芸評論・文化評論家。
文学研究者としては、近世文学を専攻。
来歴= 1922年(大正11年)、中華民国・南京市生まれ。
父は開業医で南京居留民団長だった板坂瑠一。
板坂家は17代続いた医師の家系で、江戸時代は大村家に藩医として代々仕えた。
帰朝し、子供時代を長崎で過ごす。
1943年(昭和18年)9月、旧制佐賀高校文科乙類(ドイツ語)を繰り上げ卒業。
10月、東京帝国大学文学部国文科に入学。
12月、学徒出陣で小倉市の野戦重砲連隊に入営。
のち第6航空情報連隊に配属。
武漢など大陸を転戦し、1946年(昭和21年)復員。
1950年(昭和25年)、東京大学を卒業。
同大学院修士課程に進み、研究を続けながら武蔵高等学校で教鞭をとる。
1953年(昭和28年)、西鶴や芭蕉の当時未知の句を多数含む稀書『詞林金玉集』を宮内庁書陵部で発見し、学界に紹介した。
また、この年から時枝誠記編『例解国語辞典』(1956年)の執筆に参加した。
1954年(昭和29年)、修士課程を修了し成城大学に赴任。
翌年にかけて『広辞苑』初版(1955年)の執筆に当時の妻・竹内美智子と共に参加した。
1955年(昭和30年)、森銑三の「西鶴の作品で実際に西鶴が書いたものは『好色一代男』のみ」という説をめぐり『文学』誌上で論争となった。
1957年(昭和32年)9月よりイギリス・ケンブリッジ大学で日本語・日本文 ……

板坂元さんが誕生してから、102年と0日が経過しました。(37256日)
亡くなってから、20年と118日が経ちました。(7423日)
29833日間 生きました。

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