生年月日データベース

宮川一郎みやがわいちろう

脚本家[日本]

1925年 11月18日

2008年 12月12日 死去享年84歳

宮川 一郎(みやがわ いちろう、1925年11月18日 - 2008年12月12日)は、日本の脚本家。
本名は眞木壮介(まき そうすけ)。
岐阜県飛騨市古川町出身。
経歴= 東京大学文学部卒業後、新東宝企画部に入社。
助監督、宣伝担当、企画担当を経て、1957年の『鋼鉄の巨人』を皮切りに『隠密将軍と喧嘩大名』や『人形佐七捕物帖 裸姫と謎の熊男』『地獄』(中川信夫監督)などを執筆。
1961年の新東宝倒産時に同社を退社し、中川信夫から「この男は使える」と東映に推薦され、東大の先輩・岡田茂プロデューサーにホンを読んでもらったら「お前のシナリオは説教くさい。
面白いとこだけつなげろ」と大蔵貢と同じことを言われ娯楽映画の本質を学び、書き直して再提出し1963年に東映と契約した。
新東宝企画部の社員は宮川以外は全員、電通と博報堂に行った。
新東宝では大蔵貢と二人で打ち合わせし、脚本が採用か不採用か決まったが、東映では岡田茂の前でホン読みをするのにはビックリしたという。
桂千穂は師匠・白坂依志夫は勿論、宮川のシナリオに大きな影響を受けたと話している。
東映京都では『銭形平次捕物控』『天保遊侠伝 代官所破り』の他、『間諜』(原作も)など、東映の映画やテレビ時代劇を多数手掛けた。
1968年フリー。
以降も映画・テレビのシナリオを量産し、総本数は4000本に及んだ。
ベストセラーになって映画化もされたジェームズ・クラベル『将軍』の翻訳は、売れない ……

宮川一郎さんが誕生してから、99年と5日が経過しました。(36165日)
亡くなってから、15年と346日が経ちました。(5825日)
30340日間 生きました。

推定関連画像