生年月日データベース

花村元司はなむらもとじ

将棋棋士[日本]

1917年 11月18日

1985年 5月25日 死去享年69歳
花村元司 - ウィキペディアより引用

花村 元司(はなむら もとじ、1917年11月18日 - 1985年5月25日)は、将棋棋士。
棋士番号39。
静岡県浜松市出身。
木村義雄十四世名人門下。
史上初の「(女流棋士も含め)将棋と関連した機関に在籍した経験を持たずにプロ入りした」将棋棋士で、この快挙は小山怜央が編入試験でプロ入りを決めるまで以降79年間出ていなかった。
経歴= 真剣師時代= 小学校卒業後、鋳物工の見習いとなるが、15歳のときにミスで大やけどを負って入院中に将棋と出会う。
プロになる前は、賭け将棋で生計を立てていた元真剣師という異例の経歴を持ち、真剣師時代には「東海の鬼」「コマ落ち名人」「下手名人」などの異名をとった。
囲碁も得意で囲碁の真剣師もしており、そのほか博才が高く花札もかなりの腕前があったとされる。
この時期は、真剣での収入で将棋道場を持ち、高級な和服を着こなすなどで、後に「プロにならないほうが儲かったかもしれない」と述べるほど、金銭には恵まれていた。
しかし、道場は通っていた警察官から賭博での手入れを示唆され、逃げ出すように閉鎖のやむなきに至り、その後1年もしないうちに補充兵として南支に送られ、マラリアを4度発症するも1年2ヶ月後に帰国を果たした。
プロ編入試験= 升田幸三に対し、角香交じり(角落ちと香落ちで交互に対戦すること)で徹夜で勝負して勝ち越し、さらに香落ちの手合いで指し分けとなった実力を買われたことや、後援者たちの推挙を ……

花村元司さんが誕生してから、107年と3日が経過しました。(39085日)
亡くなってから、39年と180日が経ちました。(14425日)
24660日間 生きました。

推定関連画像