平忠彦たいらただひこ
オートバイレーサー[日本]
1956年 11月12日 生 (満68歳)

平 忠彦(たいら ただひこ、英: Tadahiko Taira、1956年11月12日 - )は、福島県原町市(現・南相馬市原町区)出身の元オートバイ・ロードレースライダー。
1980年代の全日本ロードレース選手権でヤマハワークスのエースライダーとして活躍。
マシン開発ライダーとしてもロードレース世界選手権 (WGP/現MotoGP) に優れたマシンを供給し、ヤマハの世界タイトル獲得に貢献した。
来歴=
父と兄の影響で幼い頃よりオートバイに興味を持ち、18歳よりレーサーとしての活動を始める。
1977年までは自動車整備士として勤務しており、元々は四輪のレースを始めたいという夢を持っていた。
度々見学に訪れていた筑波サーキットで初めて見た2輪のスポーツ走行を見て衝撃を受け、ピットガレージにいた「埼玉イナレーシング」の赤石博行代表に相談しその場で入会。
新大宮バイパスのシェル石油ガソリンスタンドで働きながら資金をため、空冷の250ccマシン「TD3」で全日本ロードレース選手権・ノービス250ccクラスにデビュー。
その年の暮れに中古のヤマハ・TZ250(1977に発売開始されていたがノービスには入手できなかった。
)で筑波のコースを毎週走りに行っては転ぶの繰り返しだった。
すぐにパーツが壊れてしまうためカウリング未装着のマシンで1日2-3時間コースを走り込んだ。
まだ速くは走れずに転んでばかりだったが、整備士の経験からメカニック面の知識には自信があり、自分のTZは自分ですべてバラし ……
平忠彦さんが誕生してから、68年と139日が経過しました。(24976日)