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田島良保たじまよしやす

競馬騎手、調教師[日本]

1947年 10月17日 生 (満77歳)

田島良保 - ウィキペディアより引用

田島 良保(たじま よしやす、1947年10月17日 - )は、鹿児島県姶良郡牧園町(現・霧島市)出身の元騎手・元調教師。
騎手時代は数々の名騎乗を残し、「必殺仕事人」と称された。
川島信二は娘婿にあたる。
経歴= 生家の近所には牧場があり、幼少期から馬に親しんで育った。
中学卒業後は馬事公苑騎手養成長期課程に第14期生として入所したが、やんちゃな性格で生意気な生徒であった。
同期には小島太、安田富男、平井雄二、池上昌弘などがいる。
2年次の厩舎研修の際には、小島と共に勧誘を受けていた東京・高木良三厩舎に入ったが、その後は京都・谷八郎厩舎所属に決まった。
谷は勝ち気な性格であった田島の良き理解者となり、少々の批判に耳も貸さず乗せ続けた。
1966年3月5日に中京第4競走4歳未勝利・カツラニシキ(8頭中5着)でデビューを果たすと、同日の騎乗2戦目である第6競走4歳未勝利・ヨシサカエで初勝利を挙げた。
初年度には23勝を挙げ、関西民放記者クラブ賞(関西新人賞)を受賞。
2年目には勝利数を32に伸ばすと、クリバックで金鯱賞・小倉大賞典を制覇。
6年目の1971年からは平地競走に専念し、同年にはヒカルイマイで皐月賞を制して八大競走初勝利を挙げる。
同期では池上に次いで2番目であった。
続く日本ダービーでも引き続き同馬に騎乗し、後方24番手からの追い込みを見せて勝利。
「戦後最年少のダービージョッキー」となった。
当時のダービーは最大28 ……

田島良保さんが誕生してから、77年と36日が経過しました。(28160日)

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