桑原史成くわはらしせい
写真家、ジャーナリスト[日本]
1936年 10月7日 生 (満88歳)
桑原 史成(くわばら しせい、本名はふみあき、1936年10月7日 - )は、日本の報道写真家。
水俣病の先駆的な写真家として知られる。
来歴・人物=
島根県鹿足郡木部村(現・津和野町)生まれ。
1960年3月、東京農業大学と東京総合写真専門学校をともに卒業。
フリーの写真家になることを目指す。
就職を選ばなかったため、母親から一度郷里に帰れという電報が届く。
東京駅に餞別に来た友人から、車中で読めと言って渡された夕刊や雑誌の中に、『週刊朝日』5月15日号があった。
同号に掲載された小松恒夫の現地ルポ「水俣病を見よ」に衝撃を受けた桑原は、水俣病の取材撮影を決意。
小松に水俣市立病院(現・国保水俣市立総合医療センター)の大橋登院長宛ての紹介状を書いてもらい、同年7月14日、熊本県水俣市に入る。
大橋が「写真でいったい何ができるのか」と問うと、桑原は「水俣を撮ることで写真家への登竜門をくぐれるのではないかと考え、水俣に来た。
市立病院内部の撮影を許可していただきたい」と答えた。
大橋は許可し、桑原は水俣病専用病棟などで撮影を開始した。
のちに大橋は桑原に「桑原さんは本音を言った。
正直だった。
それで同意したんだ」と言ったといい、桑原は「建前をしゃべっていたらおそらく、取材拒否されたんじゃないかと思う」と述べている。
1962年1月、『朝日ジャーナル』副編集長の高津幸男は高度成長の問題点について記事を連載。
……
桑原史成さんが誕生してから、88年と46日が経過しました。(32188日)