黒川照家くろかわみつや
ミュージシャン[日本]
1951年 9月18日 生 (満73歳)
黒川 照家(くろかわ みつや、1951年9月18日 - 2020年6月6日)は、日本の音楽家。
元「1986オメガトライブ」のギタリスト。
本名、黒川 光哉(読み同じ)。
経歴・人物=
東京都中野区出身。
高校中退後、バンド活動を始める。
1977年、アマチュアバンド「リバーサイド」で『EAST WEST '77』に出場、同バンドは準優勝を果たした(同じく準優勝をしたのがカシオペアだった)。
1979年から1985年にかけて岩崎宏美や菊池桃子のバックバンド「パイナップル・カンパニー」でバンドマスターとして活動した後、1986年にオメガトライブの第2弾のプロジェクト「1986オメガトライブ」にギタリストとして加入。
同バンドのリーダーも務めたが、5枚目のシングル「Stay girl Stay pure」を最後に脱退を宣言、1988年3月に正式に脱退した(これを機に同バンドは「カルロス・トシキ&オメガトライブ」に改名する)。
その後は体調不良から長期間音楽活動を休止していたものの、2007年に活動を再開する。
再開後はソロでのライブ活動をする傍ら、新井正人とのジョイントライブやKEICOのサポート活動など多方面で活動していた。
2020年6月6日、敗血症の為68歳で急逝。
作曲した楽曲=
interstate(1987年7月15日)
(作詞:売野雅勇、作曲:黒川照家、編曲:船山基紀)
黒川照家さんが誕生してから、73年と67日が経過しました。(26730日)