小池喜孝こいけきこう
教育者、歴史研究者[日本]
1916年 9月11日 生
2003年 11月28日 死去肺炎享年88歳
小池 喜孝(こいけ きこう (別名よしたか))、1916年(大正5年)9月11日 - 2003年(平成15年)11月28日)は、日本の教育者、編集者、歴史研究者。
東京都出身。
概要=
1916年(大正5年)9月11日、東京府北多摩郡東村山村(現:東京都東村山市)に小池喜八(東村山化成小学校の校長)とキク(または喜久)の長男として出生。
1936年(昭和11年)に東京府青山師範学校を卒業。
小学校教師として東郷小学校に勤務する傍ら、法政大学高等師範部に通い、歴史や社会学の教科研究を続ける。
太平洋戦争中は鷺宮国民学校(現:中野区立鷺宮小学校)に赴任し、福島県へ児童らと疎開した。
戦後は、東京都教育労働組合執行委員に選出され、書記局員を務めるが、1948年(昭和23年)にGHQから教職追放令が下ると公職追放となった。
1951年(昭和26年)に公職追放は解除になるが、三笠書房に編集者として勤務。
竹内道之助社長の下、戦後復刊した『風と共に去りぬ』に続く女性読者向けの翻訳作品を求め、村岡花子訳『赤毛のアン』の刊行に尽力する。
その後、三笠書房を辞し、1953年(昭和28年)8月に北海道北見北斗高等学校へ社会科教師として赴任。
歴史の授業を担当した他、卓球部の顧問も務めた。
1963年(昭和38年)に埼玉県より、秩父事件の中心人物で1918年(大正7年)に野付牛町(現:北見市)で死去した井上伝蔵の足跡についての調査依頼があったことをきっかけに、民衆史の研究に取り組むよう ……
小池喜孝さんが誕生してから、108年と71日が経過しました。(39518日)
亡くなってから、20年と359日が経ちました。(7664日)
31854日間 生きました。