生年月日データベース

小沼丹おぬまたん

作家[日本]

1918年 9月9日

1996年 11月8日 死去肺炎享年79歳
小沼丹 - ウィキペディアより引用

小沼 丹(おぬま たん、1918年〈大正7年〉9月9日 - 1996年〈平成8年〉11月8日)は、日本の小説家、英文学者。
位階は従四位。
本名は小沼 救(おぬま はじめ)。
日本芸術院会員。
「大寺さんもの」など、日常を題材とした小説のほか、随筆の名手としても知られる。
また、英文学者としても知られており、早稲田大学では文学部教授として教鞭を執った。
経歴= 東京府東京市下谷区下谷町に父邁(すぐれ)、母涙子(るいこ)の長男として生まれる。
明治学院中学部、高等学部英文科を経て、1942年(昭和17年)に、早稲田大学文学部英文科を卒業した。
後年、1958年(昭和33年)から、母校早稲田大学文学部で教授を務めている。
明治学院在学中の1939年(昭和14年)に『千曲川二里』を発表。
同小説の掲載誌を井伏鱒二に寄贈、後に訪問し、師と仰いだ。
お互いの晩年に、交流記を著書『清水町先生』にまとめている。
英文学研究のかたわら小説を書いてゆき、1954年(昭和29年)に『村のエトランジェ』が評価され、翌年には「白孔雀のいるホテル」で芥川賞候補となった。
1969年(昭和44年)『懐中時計』で読売文学賞受賞、1974年(昭和50年)『椋鳥日記』で平林たい子文学賞受賞。
1989年(平成元年)日本芸術院会員。
1992年(平成4年)勲三等旭日中綬章受章。
1996年(平成8年)11月8日、肺炎のため78歳で死去。
著書= 『村のエトランジェ』 みすず書房、1954年 『白孔雀のいるホテル』 ……

小沼丹さんが誕生してから、106年と73日が経過しました。(38790日)
亡くなってから、28年と13日が経ちました。(10240日)
28550日間 生きました。