多田鼎ただかなえ
僧侶・真宗大谷派、伝道院初代院長[日本]
1875年 10月3日 生
1937年 12月7日 死去享年63歳
明治8年10月3日、愛知県宝飯郡五井村に生まれる。真宗大学に在学中、信仰の問題で煩悶し、東京に住む浄土真宗の学僧で思想家の清沢満之を訪問。のち清沢が主宰する浩々堂の同人となって精神主義運動を進め、機関誌「精神界」の発行に携わった。明治34年清沢が真宗大学の学監となったのに伴い、招かれて同教授に就任。36年清沢が没すると辞職し、37年千葉教院を開いた。その後、愛知県に帰って三河同朋会を組織し、雑誌「みどりご」を刊行しながら著述や教化活動を展開。大正13年には真宗大谷派伝道院の初代院長に任ぜられた。著書に「正信偈本義」などがある。(参照元・日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」)
多田鼎さんが誕生してから、149年と49日が経過しました。(54471日)
亡くなってから、86年と349日が経ちました。(31761日)
22710日間 生きました。