生年月日データベース

ミハイル・ボトヴィニクMikhail Moiseyevich Botvinnik

チェス棋士[ロシア]

1911年 8月17日

1995年 5月5日 死去享年85歳
ミハイル・ボトヴィニク - ウィキペディアより引用

ミハイル・モイセエビッチ・ボトヴィニク(Михаи́л Моисе́евич Ботви́нник、Mikhail Moiseyevich Botvinnik、1911年8月17日 - 1995年5月5日)は、ソビエト連邦のチェスの選手。
チェスの世界チャンピオン(1948年 - 1957年、1958年 - 1960年、1961年 - 1963年)である。
工学者でもあった。
生涯= フィンランドのクオッカラ(フィンランド語版)(ボトヴィニクの誕生時及び2015年現在はロシア領)生まれ。
12歳の時にチェスを覚え、20歳の時にソ連チャンピオンとなった。
その一方で工学の分野でも21歳で電気工学設計士、26歳で工学博士となった。
1948年、マックス・エーワ、サミュエル・ハーマン・レシェフスキー、パウリ・ケレス、ワシリー・スミスロフを加えた5人で、FIDE自身が初めて開催した公式世界チャンピオンの決定大会が行われ、ボトヴィニクはこれに優勝しチャンピオンとなった。
1957年にスミスロフに敗れたが翌年のリターンマッチでタイトルを奪還。
1960年にミハイル・タリにタイトルを奪われるが翌年のリターンマッチで再びチャンピオンに返り咲く。
1963年チグラン・ペトロシアンにチャンピオンの座を奪われ、世界選手権戦から引退。
1970年にすべての公式大会から引退した。
ボトヴィニクは、24局制の世界選手権マッチ(同点の場合はチャンピオンの引き分け防衛)を7度戦った。
その中で、防衛戦として戦った5回のうち、1951年の対デービッド・ブロンシュタイン戦と1954年の対スミス ……

ミハイル・ボトヴィニクさんが誕生してから、113年と97日が経過しました。(41370日)
亡くなってから、29年と201日が経ちました。(10793日)
30577日間 生きました。

「ミハイル・ボトヴィニク」と関連する人物