生年月日データベース

加藤陽一かとうよういち

バレーボール選手[日本]

1976年 8月12日 生 (満43歳)

加藤 陽一(かとう よういち、1976年8月12日 - )は、日本の男子元バレーボール選手、現指導者。
元日本代表。
大分県大分市出身。
ポジションはウイングスパイカー。
キャッチコピーは世界を知る日本のサムライ。
マネジメント契約先はスポーツビズ。
学生時代 ママさんバレーをやっていた母親の影響で上野ヶ丘中学でバレーボールを始める。
中学2年、3年時には全国都道府県対抗中学バレーボール大会の選抜に選ばれた。
大分工業高校の高校3年時はキャプテンとしてプレーし、1994年の春の高校バレーで3位入賞、インプレッシブプレーヤー賞を受賞した。
筑波大学に進学後、2年生から4年生までの3年間、チームのインカレ3連覇に貢献。
大学在学中の1998年世界選手権で全日本代表デビューを果たし、朝日健太郎、西村晃一とともに全日本代表の顔となった。
その後も1999年ワールドカップ、2001年ワールドグランドチャンピオンズカップで全日本代表のエースとして活躍した。
東レ時代 筑波大学卒業後、Vリーグの東レ・アローズに入団。

映像作品

関連書籍

かとうよういち(1976―) プロバレーボール選手。身長190センチメートル、アタッカー。8月12日、大分市に生まれる。1992年(平成4)大分工業高校に入学、93年世界ユース選手権大会に日本代表として出場、日本は2位となる。95年筑波大学に進学し、96~98年大学総合体育大会(インカレ)3連覇を達成、98年には最優秀選手(MVP)に選ばれた。同年、世界選手権に日本代表として出場したが、日本は15位に終わった。99年社会人(Vリーグ)では東レ(東レ・アローズ)に入社。2000年Vリーグの新人賞、敢闘賞受賞。その後、全日本の主将にも選ばれた。02年、イタリア・セリエA1のトレビゾ(SISLEYTREVISO)に入団。最初のシーズンのリーグ優勝に貢献し、オールスターゲームの外国人選抜チームにも選ばれた。2003年8月ギリシアリーグ1部のPAOKと契約した。安定したレシーブが持ち味で、正確なスパイクにも定評がある。[大下勇次][参照項目]|バレーボール (引用元 コトバンク)