生年月日データベース

小泉セツこいずみせつ

小泉八雲 夫人[日本]

(慶応4年2月4日生)

1868年 2月26日

1932年 2月18日 死去享年65歳
小泉セツ - ウィキペディアより引用

小泉 節子(こいずみ せつこ、慶応4年2月4日〈1868年2月26日〉- 昭和7年〈1932年〉2月18日)は、小泉八雲の妻。
日本に関する八雲の著述を支えた。
戸籍上の名前は小泉 セツだが、本人は節子の名を好んだ。
概要= 出雲松江藩の家臣小泉家の二女として生まれ、親戚の稲垣家の養女となる。
子供の頃に稲垣家が没落して節子は11歳から生家の機織会社で織子として働いた。
18歳の時に婿養子を迎えて結婚したが、夫は貧しさに耐えられず出奔し大阪に移る。
22歳で正式に離婚し小泉家に復籍する。
家計を支えるため松江の英語教師として赴任したラフカディオ・ハーン(後の小泉八雲)の家の住み込み女中となり、のちに結婚した。
八雲の日本語の理解を助けるとともに、幼少時から物語が好きだったこともあって日本に関する八雲の著述を支えた。
八雲との間に三男一女をもうけた。
八雲の死後に、八雲との思い出をつづった「思い出の記」を著した。
生い立ちから八雲との結婚まで= 系譜については小泉八雲#系譜の節も参照。
1868年(慶応4年)2月4日、松江に生まれセツと命名される。
父は出雲松平家の番頭で家禄300石の小泉八代目弥右衛門湊(1837 - 1887年)、母は松江藩の家老職を務めた塩見増右衛門の長女、小泉チエ(1838 - 1912年)。
6人兄弟の二女で、11人の子供の6人目であるが、そのうち5人は夭折した。
兄2人(氏太郎、武松)、姉1人(スエ)、弟2人(藤三郎、千代之助)がいる。

小泉セツさんが誕生してから、157年と340日が経過しました。(57684日)
亡くなってから、93年と349日が経ちました。(34317日)
23367日間 生きました。

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