生年月日データベース

川上のぼるかわかみのぼる

腹話術師[日本]

1929年 12月11日

2013年 9月7日 死去心不全享年85歳

川上 のぼる(かわかみ のぼる 、本名:川上 登(読み同じ)、1929年12月11日 - 2013年9月7日)は、日本の腹話術師、声帯模写師。
寄席芸としての腹話術を確立した第一人者と評される。
日本腹話術師協会名誉会長を歴任した。
略歴= 京都市出身。
日本画家の川上拙以の次男(兄は東映の美術監督やCFディレクターを務めた川上晃、弟は陶芸家の川上徹)。
芸事好きの父が2代目渋谷天外や2代目桂春團治らと親交があったため、幼少時から芝居小屋や寄席の楽屋に出入りする。
少年時代からチャップリンやヒトラーのモノマネを得意とし、その芸の腕を買った2代目天外に「養子に欲しい」と言わしめたほどだったという。
旧制中学5年の時、腹話術師エドガー・バーゲンの出演する映画に感激し、ぬいぐるみを用いた見よう見まねの腹話術を、学校の文化祭で披露した。
すると、敵国アメリカ批判などを取り入れたブラックユーモアたっぷりのネタが評判になり、各地の余興に呼ばれるうち、中村メイコの劇団に参加するようになる。
京都府立山城高等学校を経て、1949年に京都学芸大学(京都教育大学の前身)音楽科に入学。
在学中の1951年に民放ラジオ局の朝日放送が開局すると、同局専属のタレントとしてプロデビュー。
大学生タレント第1号として売り出され、『ハリスクイズ』『ピアス歌のカクテルパーティー』の司会を担当。
『ハリスクイズ』では、スポンサーの社名にちなんだ腹話術人形 ……

川上のぼるさんが誕生してから、94年と346日が経過しました。(34680日)
亡くなってから、11年と76日が経ちました。(4094日)
30586日間 生きました。

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