柳家紫朝やなぎやしちょう
音曲師・二代目[日本]
1929年 11月3日 生
2010年 4月26日 死去慢性腎不全享年82歳
柳家 紫朝(やなぎや しちょう)は、新内、粋曲、音曲、都々逸の名跡。
二代目(富士松紫朝から入れると五代目)。
死去後は空き名跡となっている。
初代柳家紫朝(1873年9月9日 - 1918年5月12日) - 越中富山の出身で若くして失明。
1888年頃に久留米に隠居生活していた初代富士松紫朝の元で修行し「紫玉」と名乗る。
左校と改名し地方廻りしている時に四代目柳亭左楽に見出され1896年に柳派に加盟。
翌年初席から「三代目柳家柴朝」として出勤。
「紫」に考慮して「柴」としたというが、大正に入り「紫朝」となる。
本名:尾上 亀次郎または亀吉。
墓所は谷中一乗寺。
戒名は「温情院紫朝日唯信士」。
二代目
柳家紫朝さんが誕生してから、95年と18日が経過しました。(34717日)
亡くなってから、14年と209日が経ちました。(5323日)
29394日間 生きました。