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武者小路穣むしゃのこうじみのる

歴史学者[日本]

(和光大学名誉教授・日本文化史)

1921年 3月27日

2010年 11月11日 死去心不全享年90歳

武者小路 穣(むしゃのこうじ みのる、1921年(大正10年)3月27日[1][2] - 2010年(平成22年)11月11日[2])は、日本の歴史学者、著述家。
和光大学名誉教授[2]。
日本文化史専攻。
筆名はむしゃこうじ・みのる(すべて平仮名、「むしゃ」と「こうじ」の間に「の」を入れずに、姓と名の間には中黒を入れる)。
旧姓は久保田(くぼた)。
子爵武者小路実世の末弟・公敏の妻・喜佐の甥にあたり、6歳の時に従兄にあたる公敏の長男・敏雄の養子に入った。
妻は小説家武者小路実篤の三女・辰子で[2]、穰の又従姉にあたる。
長女・有紀子は元バレリーナで歌舞伎役者の四代目中村梅玉夫人。
来歴= 奈良市出身[2]。
1943年(昭和18年)東京帝国大学文学部国史学科卒業[2]。
明星学園高等学校教諭を経て、1970年和光大学人文学部に着任[2]。
1991年(平成3年)定年退職[2]、名誉教授。
坂本太郎・石母田正・田中一松らの薫陶を受け、文学・絵巻・襖絵・仏像などの幅広い対象から歴史を説く独自の研究スタイルを築き上げた[2]。
墓所は港区善光寺。
系図=             久保田某             ┝━━━━━━━━━━━━━━━━ 久保田穰 → → → → →            ┏ 姉                             ↘︎             ┃                                ↘︎           河村順之( ……

武者小路穣さんが誕生してから、104年と95日が経過しました。(38081日)
亡くなってから、14年と231日が経ちました。(5345日)
32736日間 生きました。

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