遠藤啄郎えんどうたくお
劇作家、舞台用仮面製作者[日本]
(横浜ボートシアター 代表)
1928年 12月4日 生
2020年 2月7日 死去急性腎不全享年93歳
遠藤 啄郎(えんどう たくお、1928年12月4日 - 2020年2月7日)は、日本の劇作家・演出家・舞台用の仮面作成者。
横浜ボートシアター代表。
本名は遠藤 琢郎。
人物・来歴=
1928年、神奈川県平塚に生まれ、甲府、若松、東京、北海道旭川にて育つ。
。
1952年、東京芸術大学油絵科卒業後、個展グループ展などで作品を発表。
五十嵐広三(のち政治家)らと、北海道アンデパンダン展でも活動。
1959年頃より、ラジオ、オペラ、ミュージカル、舞踊、人形劇、演劇などの脚本ならびに演出家に転向。
舞台作品の日本国外での公演も多く、ヨーロッパ、アメリカ、アジアなど30都市におよぶ。
長期公演としてはパリのオルセイ劇場での、人と人形の劇「極楽金魚」の一ヶ月公演がある。
代表作の「小栗判官照手姫」は、Edinburgh FestivalやSibiu international theatre festivalにも招待される。
1972年、劇団・太陽の手を結成。
1981年、横浜の運河に浮ぶ木造船内を劇場とし、横浜ボートシアターを結成。
1983年、第18回紀伊国屋演劇賞受賞。
2001年、横浜文化賞受賞。
その後、多摩美術大学映像演劇科、日本オペラ振興会、オペラ歌手育成部などで講師をつとめる。
2020年2月7日、急性腎不全のため死去。
91歳没。
代表作=
「つげかいどう・よしはるむら・あざ…」つげ義春原作(芸術祭参加)1971年10月31日
「小栗判官・照手姫」(第18回紀伊国屋演劇賞受賞)、
「マハーバーラタ・若きアビマニュの死」
……
遠藤啄郎さんが誕生してから、95年と352日が経過しました。(35051日)
亡くなってから、4年と288日が経ちました。(1749日)
33302日間 生きました。