生年月日データベース

尾藤二洲びとうにしゅう

儒学者[日本]

(名・孝肇、延享2年10月8日生)

1745年 11月1日

1814年 1月24日 死去享年70歳

尾藤 二洲(びとう じしゅう/にしゅう、延享2年10月8日〈1745年11月1日〉 - 文化10年12月4日〈1814年1月24日〉)は、江戸時代後期の儒学者。
名は孝肇、字は志尹、通称は良佐、別号は約山。
柴野栗山・古賀精里とともに寛政の三博士と呼ばれる。
妻は儒学者飯岡義斎の娘の梅月(直子)。
妻の姉が頼山陽の母である頼梅颸であるため、頼山陽は甥にあたる。

推定関連画像

尾藤二洲さんが誕生してから、278年と174日が経過しました。(101714日)
亡くなってから、210年と91日が経ちました。(76794日)
24920日間 生きました。