木村友衛きむらともえ
浪曲師・二代目[日本]
1940年 7月17日 生 (満84歳)
木村 友衛(きむら ともえ)は、浪曲の名跡である。
初代=
木村友衛(1900年9月6日 - 1977年11月5日)は浪曲師である。
本名は高木民蔵。
横浜長者町出身。
幼少の頃から芸事が好きで、11歳の時に寄席・横浜寿亭の木村重友を生で見て感銘を受ける。
そこで一席即興で浪曲を披露した(声調べ)ところ、重友に気に入られ弟子となり友衛の名を貰う。
3日後の12歳で初舞台を踏む。
1914年に師匠とともに渡米、1915年に真打昇進というスピード出世で、3ヵ月後には寄席を3軒掛け持ちするほど人気を得た。
得意ネタは師匠譲りの関東節に独自の節調と豊かな声量・哀感で「塩原多助」「天保六花撰(河内山宗俊)」などを得意とした。
1940年、日本浪曲協会の初代会長、一旦会長を退き1948年に再び会長になったが喉を痛め、1953年に明治座で引退興行を行った。
引退後あまり喉を酷使しない講談に挑戦したこともあった。
後に勲四等瑞宝章受章。
木村若友、木村若衛、力衛、隆衛など多数の数の弟子がいる。
2代目=
木村友衛さんが誕生してから、84年と127日が経過しました。(30808日)